島人ぬ宝

島人ぬ宝

”島人ぬ宝”とは”島の人達の宝物”を意味するらしい。

殆どの人が”BEGIN”を連想すると思うし、僕もそう(笑)

ただ今回は"BEGIN"の話ではなく、この"島人ぬ宝"をHawaiiに置き換えた時に真っ先に浮かんだのが"GABBY"だった。

そもそも何故そんな妄想を思いついたのかは自分でもわからない。

きっと砂浜に流れ着いた流木の上に座ってボケ~としていたせいだろう(笑)

 

さて、今ブログを読んでくれている方の中にはきっと思ってくれているハズ‼

 

""GABBY"って誰よ?"と‼

 

今でもワイキキビーチウォークエリアの芝生の上で陽気にスラック・キー・ギターをかなでている男(銅像です)

 

前回の"DON HO"に続き、ワイキキ銅像偉人です。

銅像となった彼には今でもレイ(Hawaiiのお花の首い飾り)がかけられ続けているところにHawaiiの人達からの尊敬と愛を感じます。

 

Hawaiiという島を愛し、Hawaiiから愛された男を今回は追っていきます。

1921年カカアコに生まれ。

12歳でタバコ代を稼ぐ為にハワイアン音楽をはじめます。(笑)

タバコ吸い始めるの早すぎません?(笑)

そして30年代から本格的にプロのキャリアをスタートさせます。

この時、既にベースとスティールギター、スラック・キー・ギターはかなりの腕前だったみたいです。

当時の著名なミュージシャン達のバックミュージシャンを経験しホノルルの200以上のクラブでプレイ。

 

40年代~60年代には初めてレコーディングもし、当時人気のラジオ番組”ハワイ・スコールズ”にもにも出演しHawaii内での成功を納めます。

しかし、、、、

成功したと言っても、それは島内の話。。。

子供が13人いる彼らの暮らしは決して裕福ではなく、道路作業員の仕事を掛け持ちしていました。

そんな彼の運命を左右する出来事が70年代に入り訪れます。

1970年にHawaiiでもルネッサンスが起こります。

そう、文化的差異覚醒により、Hawaiiの関心が高まったのです。

そして、その中心にいた人物こそ"GABBY"です。

彼は様々な商業的な音楽(SOUL ROCK など)で成功する事を選ばず、純粋に愛するハワイアンミュージックを選び、ゴミ収集車のドライバーの仕事を掛け持ちする道を選びます。

同時期にはハワイアンミュージックを残すために子供達にスラック・キーギターを教える活動も始めます。

そして遂に70年代にリリースしたアルバムで発掘され

彼の名前、そして彼の愛するハワイアン音楽は広がり島内の若者達にも伝染しHawaiiの音楽そのものを守るカタチとなったわけです。

その後、70年代に多くのタイトルをリリースし、その中でも"PURE GABBY"はハワイ音楽界の名誉あるナ・ホク・ハノハノ賞を受賞。

(因みにこのアルバム。。実は60年代にレコーディングを終えていたが当時レコード会社の関心を得られず断念)

当時最も才能あるミュージシャンがようやく花が開いた瞬間です。

 

音楽の才能だけでなく、人間としての魅力も備えていた彼。

彼の周りには週末、沢山のミュージシャン仲間が集まり、常に鍋が用意されていて彼の家でご飯を食べて庭でセッションするのが日常だったらしく、その仲間の中には"DON HO"や”KUI LEE”などもいたそうで、、

それは時代を越えてあの"KALAPANA"や"CECILIO&KAPONO""COUNTRY COMFORT"もセッションを希望し参加していたそうです。

Hawaii音楽好きの人達からしたら大金だしてでも見てみたいセッションですよね(笑)

 

彼の作るメロディーと美しいファルセットボイス。

そして人柄。

世代を問わず多くのミュージシャンに影響を与え、Hawaiiの音楽を守り抜いた彼。

彼の意志は現在でも彼の家族や意志を継ぐミュージシャン達によって守られ続けています。

そのカタチの1つが銅像であり、先日インスタグラムにて紹介したハワイアンコンテンポラリーなんだと僕は思います。

 

貧困を笑顔に変え、ハワイアンミュージックを愛し守り続け、

多くのミュージシャン、そしてHawaiiから愛された英雄の話。

 

まさに"島人ぬ宝"‼


ってちょっと強引でしたかね(笑)?

 

とまぁ、いつも通り文才のない長文になってしまいましたが(笑)

このブログで"GABBY"、そしてハワイアンミュージックに少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。

70年代以降のハワイミュージック(SOULやAOR)は勿論良いですが、そのベースにある音を知るのも、ハワイ音楽の新たな発見ができて楽しいと思いますよ‼

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